観白楼
2年前、韓国の書院と古い村を訪ねる旅に誘って下さった都窯業の河原さんが永年の夢であった、日本で初めての「楼」をつくり、お披露目の会をするというので伊賀上野へ出かけた。
観白楼と名付けられた建物は、韓国の安東の河回村近くに建つ、李朝時代後期の書院建築、晩対楼をモデルとしているそうだ。
楼へ登ると、伊賀上野の美しい景色が一望でき、風が吹き渡り、心が開放される、自然と一体となった建築である。おおいに刺激うける関西の多くの知り合いの建築家とも会え、楽しい会であった。
神家昭雄
孤蓬庵、忘筌は小堀遠州の仕事(石橋対決:津田永忠の投稿は3月24日)として建築家なら誰でも知るところですが、表門の前の空堀にかかる石橋に注目している人は少ない。閑谷学校の石橋と同様、ここでも注意深く見なければ、すっと通り過ぎてしまうほど一見よくある石橋に見える。
しかし、よく見ると造形的で、両サイドに架かる親桁は閑谷学校の石橋とは違って、構造的なものではなく、意匠として架けられている。それを知らせるために親桁の中央下端を丸くくり抜いて、軽やかに見せる仕掛けとしている。
H型に見える中央の石と、親桁のくり抜かれた石との間合いがこの橋のもっとも見せどころだ。ここに立つとこんな小さな橋にさえ、全力で向かう遠州の気迫を感じずにはいられない。
神家昭雄
津田永忠・小堀遠州(石橋対決:小堀遠州の投稿は3月29日)、稀代の作庭家の知られざる小さな仕事を紹介します。
「閑谷学校石橋」
閑谷学校を訪れてまず目を引くのは、かまぼこ型の石塀と備前焼の美しい大屋根です。水平に延びる石塀と、大屋根の対比は見事でいつ来ても心がおどる。
今日紹介する橋は駐車場からのアプローチの途中にあり、気に留める人はいない。
この橋は一見単純で、歩くところの石をあえてラフな仕上としているため、どこにでもある石橋のようで、そのすごさに気付かない。永忠はあえてこのようにつくったとさえ思える。
よく見ると親桁は一本の石でつくられ、わずかなむくりは日本刀の反りを連想させ、緊張感と美を生んでいる。親桁を支える石の橋脚も精緻な仕事で、ほんのわずかにテーパーをつけて積まれている。この石橋を見ただけで作者がただ者でないことがわかる。
親桁と基礎石の組み合わせのディテールは、もっとも僕の感性を刺激する。全体のプロポーションは完璧で見るたびにすごいと思わせる。
石の文化を持つヨーロッパの人にはつくれない日本人の美意識が表出している。
神家昭雄