御津の家
築20年経ち、竹塀が傷んできたので、やり替の相談に伺いました。
2世帯住宅で20年経っても全く狂いもなく、大切に住まわれています。
ここへ来るとあらい建設の藤本棟梁とのやり取りを思い出します。
左官仕事もすばらしいです。
月日の経つのは早い。
神家昭雄
築20年経ち、竹塀が傷んできたので、やり替の相談に伺いました。
2世帯住宅で20年経っても全く狂いもなく、大切に住まわれています。
ここへ来るとあらい建設の藤本棟梁とのやり取りを思い出します。
左官仕事もすばらしいです。
月日の経つのは早い。
神家昭雄
先日、恩師 光安義光が33才という若さで設計したDOCOMOMO Japanに
選定されている真珠会館が、とうとう壊されるという事で最後に見て
子息の義博さん(建築家)に話を聞きたいと思い出かけました。
建築は昭和27年(築70年)の竣工で居留地の東端に建っています。
当時は周囲に木造の建物しかなく神戸に2台しかなかったエレベーターが入っています。
真珠と共に戦後復興の希望として輝いていたと思います。
先生の新しい時代の建築をつくるというエネルギーを随所に感じます。
特に風除室、屋上へ上がるラセン階段、スチールサッシュは秀逸です。
モダンな照明器具や椅子も設計されています。
また環境にも配慮されていて、クーラーがない時代に風を呼び込むプラン・セクションになっていました。
阪神大震災では近くの神戸市役所が全壊したのに、真珠会館はクラックひとつ入らず
ガラスも一枚も割れなかったそうです。
とても大切にされていて、ほぼ竣工時のまま使われています。
そんな建築も経済・資本の理論で壊されるのはとても残念なことです。
阪神大震災では多くの歴史的建物・近代建築が失われ街が記憶喪失になったと
言われましたが、またひとつ街の貴重な記憶が失われます。
3月には見学会があるようです。
建築は希望という未来のエキスを一滴注ぎ込むことで建築になる
という話を思い出しながら神戸を後にしました。
神家昭雄